病院で出会ったおじいちゃんに人生相談したら、人生で大事なことを教わった。

公開日:2018年7月3日
     
 人生哲学,生き方,病院,アイキャッチ  
   

こんにちは。

ごりぱちです。

みなさん、元気ですか?

いきなりなんやねん!と思った方、良いレスポンスです。

最近、実家から将棋盤の写真が送られてきました。部屋を整理していたら、出てきたようです。

小さい頃、母方のおじいちゃんと将棋をさしていたのを思い出してのと同時に、僕の人生にとてつもないインパクトを与えた病院で出会ったおじいちゃんを思い出しました。

今回は、僕が変わるきっかけをくれたおじいちゃんとのお話をしようと思います。

この記事が、漠然と将来に対して不安がある人や、どうして良いか分からない人にとって、心が楽になるきっかけを提供できると嬉しいです。。

では、レッツゴー!!!

▶︎自分のことを大切に。世界一周に導いた、人生を豊かにする3つの問い。

▶︎自分が本当にやりたいことを見つける8のワーク!

▶︎本当の自分を知る方法。僕の特徴を100個絞り出してみた。

▶︎「人生でやりたくないことリスト30」を作ってみた!

▶︎【30歳になるまでに答えられるようになっておきたい11の質問】30歳近くなったので、回答してみた。

病院でのおじいちゃんとの出会い。

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大学卒業を控えた3月。

僕は都内のとある病院に入院していた。

大学時代、アメフト部に所属しており、試合中に膝の靭帯を断絶したので、シーズン終了後に手術をすることになり、入院が決まった。

その病院は、老人ホームが併設されており、僕の周りはおじいちゃん、おばあちゃんで溢れかえっていた。

ちなみに、僕はその病院で唯一の20代らしく、看護婦さんからは「なんでこんなところへ?」と、いつもびっくりされていた。

入院した即日手術、膝の手術が終わってから数日後、やっと歩けるようになり、病室を出て院内を歩くと、いろんな人がいた。

ずっと下を見て俯いている人、窓の外の1点を見ながら微動だにしない人、まともにご飯が食べられず、ずっとご飯を噛み続けている人。

みんな、年齢は70-80歳くらい。挨拶をしても、それに反応する人は皆無。「とんでもないところに入院したな。」と正直ビビっていた。

そんな中、1人のおじいちゃんが目についた。

ふさふさの白髪、背筋がピンと伸び、ポロシャツを着た紳士的なおじいちゃんは、なにやらウンウン唸っていた。

病院の中で、初めて人間っぽい人に出会えたのが、そのおじいちゃんだった。

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将棋友達から始まった

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そのおじいちゃんは、将棋盤とにらめっこをしていた。1人で。しかも、何時間も。

僕はといえば、ここぞと言わんばかりに溜め込んでいた本を読み漁っていた。

しかし、いかんせん、おじいちゃんが気になる。

ズーーーっと、ウンウン唸っていて、かつ、全く局面が進んでいない。

僕は、思わず話しかけた。

「将棋、一緒にさしませんか?」

1人で考えるよりも、2人で考えた方がいいだろうし、なにより、僕は将棋が好きだった。

小さい頃、よくおじいちゃんと一緒に将棋をやって、将棋の楽しさを知り、小学生の時は将棋クラブにも入っていた。

おじいちゃんが死んでからは、家族内で将棋ができる人がいなかったので、将棋からは5年以上離れていた。

そんな時、目の前で将棋盤を持っているおじいちゃんがいたら、ささないわけにはいかない。

すると、おじいちゃんは、

「おお!そらいいね!兄ちゃん、話せるんだね!ここにいる人たちは、滅多に話さないから、兄ちゃんも話せないかと思ったよ!ささ、早速やろうぜ。勝負だ。」

いや、なんで話せない前提やねん。と突っ込みたくなったが、それは流しておいた。

おじいちゃんだからといって容赦はしない。勝負は勝ちに行く。

3歳からスポーツ教育を受けてきた僕は、試合に関しては毎回真剣に勝ちに行くタイプだ。

しかも、将棋は割と強い方だと思っていた。学内や地域の将棋大会で勝ってたし、中学高校も、たまに将棋をすれば負けたことはなかった。

正直、「入院してるおじいちゃんには負けないぜ!」と思っていたが、それは大きな間違いだった。

そのおじいちゃん、圧倒的に強いのだ。

3試合やって全敗。僕が持ちうる全ての知識を使って対抗したものの、いとも簡単に負かされた。

「兄ちゃん、めっちゃ弱いなあ。ワシが鍛えてやるから、また明日の朝さそうや。」

聞けば、おじいちゃんは、将棋の全国大会で優勝したことがある程の腕らしい。

そら勝てへんわ!

ただ、負けず嫌いの僕は、「退院するまでに、絶対このおじいちゃんに勝つ!」という目標をすぐに定めた。

退院目安まで約20日。勝利を手にするには十分な期間だ。

じいちゃんを負かすためにも、まずは鍛錬が必要だ。そこで、僕はおじちゃんの弟子として、将棋の特訓を願い入れた。

「こりゃ、入院生活も楽しくなりそうだ。」

この時、卒業後の進路が全く決まっておらず、精神的に不安定な僕だったが、入院中のおじいちゃんとの出会いが、僕の心を落ち着かせてくれた。

記憶が1日しか持たないおじいちゃん

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翌朝、共有スペースに行くと、昨日と同じように将棋をさしているおじいちゃんを発見。

「おはようございます!今日から特訓ですね!よろしくお願いします!」

こう声をかけると、まさかの反応が。

「兄ちゃん、誰だ?会ったことないのに、なんでそんなに馴れ馴れしいんだ?」

いやいやいや、どういうことよ。

僕は、昨日あった出来事を説明する。すると、おじいちゃんはこんなことを言い始めた。

「兄ちゃん、俺はここにさっき到着したんだぞ。誰も知る人なんかいるわけないだろ。何言ってんだ。」

何かがおかしい。いや、圧倒的におかしい。

僕の頭がおかしいのかもしれないと一瞬思ったが、確実に日付は変わっているし、おじいちゃんとの出会いを友達に連絡した痕跡もある。

その日は結局、おじいちゃんに怪しまれっぱなしで、将棋どころではなかった。

あまりにも気になったので、僕は看護士さんに話を聞いてみた。

「ああ、あのおじいちゃんね。短期記憶が持たないの。昔のことは思い出せるらしいんだけど、最近の記憶は1日持たないのよ。

毎朝、4時くらいに起きて来て、ナースステーションに来るから、その度に説明してるの。

“具合が悪いから、ご家族に連れられてさっきここに来たんですよ。”って。」

認知症の一種である、長期記憶障害らしい。

・記憶障害とは 記憶障害の種類と対応 by 認知症ネット

いや、めちゃめちゃ驚いた。少し前に見た「50回目のファーストキス」の主人公の女の子と同じやん。

まさか、 こんなところで遭遇するとは。

ただ、僕は”50回目のファーストキス”を見たことがあるのと、どうしても将棋がしたかったので、毎朝のようにおじいちゃんにアプローチしていった。

将棋好きなことをアピールしたり、オススメの将棋本を勧めたり、とにかく将棋ネタで攻めた。

なぜなら、それ以外の要素で攻めると、確実に無視されるからだ。笑

コツを掴み、毎日のように将棋をさせる日が続いた。

相変わらず将棋の試合は勝てなかったが、なぜか分からないが、充実感だけはあった。

ただ、おじいちゃんが将棋をうつのは午前中だけ。午後は部屋に帰ってしまう。

1度、物凄い接戦になり、昼の2時まで将棋をさしていたのだが、その時、おじいちゃんの手は震えていた。

午後になると、全身が震えてしまい、何もできなくなってしまうようだった。

おじいちゃんは、そのことを嘆いていたが、毎回こう締めくくってくれた。

「いやあ、今日も楽しかったよ。また明日も将棋さそうな!」

毎朝、僕が頑張って話しかけてるのも知らないで!と思いつつも、笑顔なおじいちゃんを見ると、心が和んだ。

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おじいちゃんの夜の徘徊

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そんなある晩、いつものようにベッドで寝ていると、廊下で何やら声が聞こえる。

「家に帰らせてくれえ。息子はどこだあ。」

待って、めちゃめちゃ怖い。この病院は、認知症の人が多いので、たまに徘徊する人がいるとは聞いていたが、実際に経験すると、まじで怖い。

当時、僕は個室に入れてもらっていた。追加料金なしで。

なぜなら「認知症のお年寄りと同じ部屋はきついでしょ?」と、お医者さんと看護士さんが気を使ってくれたのだ。

その個室の入り口付近で、足音が止まった。

次の瞬間。

がん!がん!がん!

猛烈な勢いでドアが開こうとする。

「ここにいるんだろお!早く連れて帰ってくれえええ!」

どんなホラーよりも怖くて、真面目にオシッコ漏れそうでした。

正確に言うと、実際にちょっと漏れちゃった。笑

迷うことなく、ナースコールを押す僕。看護士さんが来てくれて、何事もなく終わったが、あまりにも怖い体験となったので、看護士さんと明け方まで話していました。

すると、驚くことに、今回の徘徊犯人は、いつも将棋をさしていたおじいちゃんだったのです。

物凄いショックだったのと同時に、おじいちゃんがなぜここに来ることになったのかにも興味が湧き、話を聞いてみることに。

「あのおじいちゃん、実はもう3年になるの。その間、ご家族が訪れて来たことは1回もない。

昔は将棋で全国優勝したり、郵便局長やったりで優秀だったらしいんだけど、ボケが始まって手がつかなくなっちゃったみたいで。

でもね、ここにいる人たちは、みんな似たり寄ったりなの。

認知症になって、家族から見捨てられて、この病院で余生を過ごす。

みんな、自分のことすら忘れちゃってる。

たまに、ああやって暴れるんだけど、やっぱり、心のどこかで孤独感があるんだと思うよ。」

言葉が出なかった。

「ただね、あのおじいちゃんの違うところは、将棋があることなの。

自分の好きな将棋のことだけは覚えてて、それが彼の生きてる証になっていると思う。

あなたと将棋をするようになって、とっても元気になって来てるのよ。

本当にありがとうね。」

泣きそうになった。僕はただ、将棋でおじいちゃんを負かすことしか考えてなかったけど、それがおじいちゃんのエネルギーになっているなんて。

「これからも、毎日将棋をさそう。」こう心に誓った。ただ、その翌日僕の退院日が決まった。

僕が病院にいる期間は、残り5日間となった。

おじいちゃんの生い立ち。

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翌朝、いつものようにオススメ将棋本アプローチによって、将棋をさしていた僕たち。

出会ってから、将棋はさしていたものの、お互いのことについて話したことがなかった僕は、将棋を中断させて、おじいちゃんの生い立ちについて聞いてみた。

「俺の生い立ち?ろくなもんじゃないが、聞きたいのなら話そうか。

俺は将棋をこよなく愛する爺さんだ。将棋は3歳から始めた。じいちゃんが教えてくれたんだ。

空襲で家が焼けた時も、俺の嫁さんが胸に抱えて逃げたそうだ。

本当、嫁には頭が上がらねえ。その時、俺は、フィリピンにいっていたからなあ。」

え、なに、このおじいちゃん、戦争を経験してるの?しかも、フィリピンって、激戦区やん。

「敗戦後、引き上げ船に乗って日本に帰って来たときは涙が止まらなかったよ。

その時の俺は、22歳。にいちゃんもそのくらいか?まあいいや。

とにかく、帰国後は鉄骨拾いでも、人糞収集でも、なんでもやったよ。

闇市で米を買うと高かったけど、嫁が喜ぶから、なんとか仕入れてた。

友達のコネで、郵便局で働くことになって、生活にゆとりができてから、好きだった将棋に時間を割いたよ。

郵便局を定年で辞めるまで、ひたすらサボってたなあ。

でも、戦争を経験してた俺は、その平和な日常が何よりも嬉しかった。

何よりも、空襲とか、死の危険がなく将棋ができるのが最高だったよ。」

「子供も3人できて、必死に育てた。平和な時代で、幸せになってほしいと思って、随分甘やかしたもんだ。

定年退職後は、暇なもんだからトラックの運転手とかやったりしてな。

それも今じゃ、そこらへんの老人と同じような場所にいる。

戦地を駆けずり回って、餓死寸前までいって、国に戻ってからは、必死こいて働いて、俺なりによくやって来たと思うんだがな。悲しいもんさ。」

凄まじい経験してる。このじいちゃん。80歳オーバーの人からしたら、空襲とか、戦地に行くとか、ありがちな話なのかもしれないが、現代の僕らからしたら、全く想像できないし、想像もしたくないようなシチュエーションだ。

そんな生い立ちを話してくれたおじいちゃんに、僕は自分の話をしてみた。

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おじいちゃんの人生観

「おじいちゃん、僕、自分の価値がわからないんだ。

就職活動もうまくいかなくて、何も進路が決まらないまま卒業する。

社会から求められていないんじゃないかって考えるだけで怖くなるんだ。」

僕は、自分が抱えてる不安であったり、モヤモヤをぶちまけた。

おじいちゃんは、将棋をさすのと同じように、ウンウン言いながら話を聞いてくれた。

「にいちゃん。あんた、先のこと考えすぎだよ。

人はみんな、いつか死ぬんだ。遅かれ早かれ、死ぬんだよ。

戦争で、にいちゃんより若い奴が死ぬのをいっぱいみて来た。

そいつらが、どんな思いで死んだのか。考えたことあるか?

そりゃ、時代が違うかもしれねえが、綺麗な女を抱きたいとか、考えてることはちっとも変わらねえぞ。

にいちゃんの世代は、戦争がないし、政治的に国が荒れることがないから、今じゃなくて、未来をいつも考えてる。

違うんだよ。未来を考えて、今をないがしろにしたら、未来はただの夢で終わっちまう。すぐ死んじまうんだよ。」

じいちゃんの言葉1つ1つが、僕の胸を打つ。

「俺も、ろくな人生送ってきてないけどな、胸張って言えることがある。

それは、好きなことをとことん続けたこと死に物狂いで毎日を生きたこと、これだけは、やってきたつもりだ。

にいちゃんの好きなことはなんだ?

明日死ぬかもしれないって考えたらどうだ?

くよくよ悩んでる暇なんてあるか?

人生はなるようにしかならんよ。

頭でっかちになって、くよくよしてるなら、なんか1つでも行動してみな。

それが積み重なれば、勝手に面白い人生になるさ。

話を聞いてる途中から、涙をこらえるのに必死だった。

僕は、おじいちゃんに伝えられるような、好きなことだったり、やりたいことが、当時は明確になかった。

ましては、明日死ぬつもりでなんて、思ったこともなかった。

でも、じいちゃんの言葉が、僕に勇気をくれたことは確かで。

退院後に、フィリピンに行けたのも、NPOで働けたのも、大学院に行けたのも、全て、じいちゃんとの出会いが根本にはある。

本当に出会えてよかった。

それから退院する日まで、僕は相変わらずじいちゃんと将棋をしていた。

退院の日、おじいちゃんに報告をした。僕は、結局、1勝もできなかった。

「今日で、将棋は最後です。おじいちゃんは覚えてないかもだけど、僕はおじいちゃんにたくさんのことを教わりました。本当にありがとう。」

「おいおい、さっき会ったばかりじゃないか!何を言ってるんだ。ま、とにかく将棋楽しかったよ!またさそうな!」

こう言って、笑顔でお別れをしました。

それから1ヶ月後、経過検査で病院を訪ねた際、おじいちゃんに会おうと思いましたが、おじいちゃんは寝たきりになっていました。会話をすることもできず、頭をぺこりとだけ下げて、病院を去りました。それが、おじいちゃんとの最後です。

おじいちゃんに感謝

生きていく中で、人生に対して絶望したり、仕事がうまくいかなくてイライラしたり、自分の価値がないと感じたり、いろんな心の痛みを、たくさんの人が抱えていると思います。

でも、そんな時、このおじいちゃんの問いかけをしてみてください。

あなたの好きでたまらないことはなんですか?それに時間を割けていますか?

明日死ぬという気持ちで生きていますか?よく分からない未来に対して、漠然とした不安を抱えながら生きていませんか?

僕は、いつもこの2つを自分に問いかけています。もし、この質問に対して、きちんと答えられないのであれば、それは僕の生活を見直す良い機会となります。

いろんなことがある人生ですが、毎日を必死に、楽しみながら過ごす人生と、クヨクヨ悩みながら過ごす人生、どちらを選びたいですか?

この記事が、皆さんの生きる上で何かしらの価値を埋めれば嬉しいです。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

本日はここまでです!

では、また次回お会いしましょう!

 

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