こんにちは。
ごりぱちです。
母にブログを勧めたら、「私文章は書くから、あんたのブログに載っけてよ!」と言われたので、
ほぼ専業主婦として10年程度生活してきた母が、シングルマザーとして奮闘してきた内容をまとめて、
「母子家庭(シングルマザー)の子育て奮闘記シリーズ」として書いています。
母子家庭になったのは、妹と僕が小学生の頃。
母の年齢は45歳。
女手一つで子供2人を育てた母。
子育ての過程で大変なことが山のようにあったようです。
そんな時、誰にも相談できず、一人で苦しんでいた経験があり、
「同じように母子家庭(シングルマザー)の子育てに悩みを解決するために力になりたい!」ということで文章を書いてくれました。
一応、妹は国立の大学、僕は国立の大学院を卒業し、グレることなく生きてきているので、母の子育ては間違っていなかったのだと思います。
この内容は、母子家庭(シングルマザー)だけでなく、一般の家庭の子育てにも当てはまると思いますので、子育てに悩んでいる方は是非とも読んでみてください!
今回は、「母子家庭・母の子育て奮闘記シリーズ第2話」ということで、
母がシングルマザーとして女手一つで子供を育てると決意した時のお話です!
では、レッツゴー!!!
↓母子家庭育ちで学んだことなどもまとめてみました!興味がある方はこちらをご覧ください!
・母子家庭で育った僕が思う、「母子家庭で育って本当に良かった!」と思える5の理由。
↓日本の子育て環境に対する疑問
・日本の子育て環境は異常。花火大会でひたすらゲームをさせる親、その理由とは?
シングルマザーとして、一人で生きていく決意。
旦那が仕事に行っている間に、子供を連れて出て行った後、最も悩んだことがあります。
それが、実家に帰るか、それとも家を借りて家族3人で住むかの決断です。
実にこの悩みは深かった。しかし、決断は一瞬でした。即決。深かったけど即決。
だって答えは、二択のどちらかなんだもん。
で、決めた。家を借りて、一人で、いえ三人で生きていくと。
私、悪いことしたわけじゃないし、実家で世話になるなんてできない。
どっちかって言ったら、「負けて帰りたくない」が本音だったかも。
しかも私は、転校ばっかりで、よくイジメめられてた。
そんな思いは、子供には絶対させたくないってね。
「なんで引っ越してきたん?」
「お父さんは? 」
「言葉がヘン」等など。
子供だって結構辛辣。
その気はなくても、えぐってくる。
私は、親が転勤族だっただけで、親の離婚とかじゃなかったけど、少しばかり成績がいいだけでいじめられたし、都会から田舎の学校に行けばそれだけでいじめられた。
田舎から都会に行けば、それはものすごい見下されたものだ。
それに加えて、大人の会話を聞いては、色んなことを言ってくる。
そんな思いはさせられなかった。
しかも学校を変わったら、逃げたみたいに思ったし、誰に迷惑掛けたたわけじゃないしって思いが強かった。
とはいえ、悩みはあった。
じっさい、お金は心配だったし。
やっていけるのかしら。とか。
夜も眠れなくて・・・
でも、決めちゃった。
学区は同じ、転校させない。
三人で生きていく。
もとの家に近いところにアパートを借りました。
まわりの人達、つまり大人は興味深々。
子供のともだちは全然平気。
よく遊びに来ましたよ。
もちろん、子供も平気。
一番大事なことは、わたしの態度。
毅然とした態度です。
スーパーに行く時も、カジュアルおしゃれで、気を抜かなかった。
気迫に押されてか、なんも言われないし、言わせなかった。
旦那に不満を抱えている女性と仲良くなった。
友達「私も働くわ。働いて、お金ためて、子供と生きる道を開くわ。」なんて言ってた、ある国家資格を持っている方。
でもすぐ仕事を辞めてしまった。
友達「時代が変われば、覚えることも多くて」なんて言って、しかも年下に教えられて、それが嫌だったそうな。
簡単にくじけない。決断したシンママは強い。
「シンママ、甘く見んなよ」って、感じです。
私は「親戚もいない、実家もない、この地ここで暮らしていく!」と決めたのです。
忙しい毎日。とにかく、忙しいが一番。
未来の心配を、私のさみしさを、ごまかして。
忙しいから、見えるものが、今日と明日しかない。
それが頑張れるコツ。頑張るっきゃないんだからね。
*ごまかしてきたつけは、やがてやってくる、おーコワイ。。。笑
でも、それさえも覚悟の上。
45歳、キャリアのない私だけど、やるしかない。
子供の名字をどうするか。
次に決めたのは、名前。
つまり性名の性。苗字です。
苗字は変えない。
実は変えたんですが、変えてない。
私は、旧姓の戸籍を捨てました。
正直、自分の名字を捨てるのは、とても心が痛かったです。
弁護士さんに相談したら、一度旧姓に戻る権利を放棄すると、旧姓に戻るためには、いったん親の親戚に養女に入り、それから実家の戸籍に入るという二段階方式で、わたしにとってはかなりハードルが高い。
まず、親戚ってのがね。何人もの人にお世話にならなくちゃいけないし。
で、またまた決断。旧姓に戻らず名前を変えない。
そうです、戸籍を結婚した人の同性で作っちゃった。
で、さらに子供の戸籍も相手方から抜いて、私の戸籍に入れました。
つまり、人生初の戸籍筆頭者になったわけ。
これは精神的にしんどかったし、きつかったですね。
今にして思えば、ものすごいことをしちゃった。
だって、ご先祖さまが消えちゃった、わけですから。一代目当主。入る墓がない。
私は天涯孤独なんだって思いましたよ。
浮草。はぐれ鳥。ほんと、そんな心境。
それなのに、どうして旧姓に戻らなかったか?
答えは。
別性をいちいち説明するのが嫌だったから。
女性って強いですよね。
日本のしきたりで、結婚したら女性が旧姓を放棄して、無条件降伏みたいに、婚家の性になる。
その日から別人になるわけじゃないですか。
もちろん氏名上の話ですよ。いいとか悪いとかじゃなくね。
病院や市役所で名前呼ばれて、最初違和感あったはず。
そんな思いして獲得した苗字、なんで旧姓にまた戻らなくちゃならないかなって。
疑問を呈したわけです、私の心に。小さな抵抗!(個人的見解)
これは、私がした事。
子供には、私のしたことで嫌な思いはさせられないから。
わたし一人で、この胸の痛みを抱えて生きて行こうと決めたのです。
両親は離婚を知っていたのか?
最近気が付いたことがあるんです。
両親は、離婚のこととか、そんな事一度も私に聞いたことなかったなと。
知ってたのか。
知らなかったのか。
もうすでに他界してるので、知りようがないですがね。
これ書きながら考え込んじゃったわけ。
今まで私自身、思った事なかったな~って。
今両親の写真眺めてますけど。そういえば帰ってこいとも言わなかった。
どう思ってたのかな?
やっぱ、面倒かけられたくなかったのかもね~?
なんでここまでしたかって?
これには子供誕生の時の話に戻らなくちゃならない。
子供誕生 + 子育ての信条(五か条と作戦) = 決断
という事で、話が長くなるので、また回を変えてお話ししますね。
忙しいが一番。今日と明日しか存在しない。それが頑張れるコツ。
母子家庭のもとで育った僕の視点。
息子ながら、読んでて色々考えさせられますね。
僕自身、離婚する前と離婚した後で、特に引目を感じたことは一度もありませんでした。
むしろ、日常から親同士の喧嘩が減ったので、精神的にすごく楽になり、のびのび過ごせるようになりました。
ただ、同じ学区だったので、前の家の近くを通る時はドキドキしましたし、たまに父を見かけることもあり、逃げるように道を変えたりしたのは、少し複雑な気持ちにもなっていました。
ただ、僕と妹は何不自由することなく、順調に育つことができました。
それは一重に、母の「私が責任を持って1人で育て切る」という決意があったからだと思います。
本当に、感謝しかありませんん。
最後に、母子家庭(シングルマザー)として日々奮闘している皆さん、本当にありがとうございます。
そして、お疲れ様です。
子供は、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。
体だけは、壊さないようにしてくださいね。
この記事が、少しでもお役に立てれば幸いです。
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今回は、ここまでです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
では、また次回!