こんにちは。
ごりぱちです。
世界一周をする中で、僕たちはイスラム教・キリスト教・仏教・ヒンドゥー教など、様々な宗教の人たちと関わってきました。
宗教はその地域の文化を形成しているので、宗教の存在は重要だと考えていますし、そもそも宗教は、精神的に安定できない環境において、確実に必要だとも考えています。
しかしながら、僕はモロッコで、めちゃくちゃ残念な思いを宗教に対してしてしまいます。
とある男性がとった行為が、僕が抱いていた宗教の存在理由さえ見失わせてしまいそうでした。
今回は、僕が思う宗教が必要な理由を簡単に説明し、今回の経験から抱いた宗教に対する疑問点をぶちまけていきます。
では、いきましょう。
宗教が必要な理由
僕は、宗教が必要な理由は、
精神の安定剤として機能するため
と考えています。
地震・台風・事故によって、大切な人を失ってしまったとき、理不尽なことで人生を棒にふってしまった時、人間は精神的に何か頼るものがなければ、身体活動ができなくなってしまい、生命の危機へと陥ってしまいます。
僕は、インドネシアのアチェという、スマトラ沖地震の津波で両親を失ってしまった子供に対して1ヶ月ほどボランティアをした経験があります。
その時、両親を失ったのにも関わらず、一生懸命に毎日勉強に打ち込む子供たちに、こんな質問をしたことがあります。
🇯🇵「どうしてそんなに頑張れるの?」
🇮🇩「これは、アッラーからの試練なんだ。僕がこの試練を乗り越えれば、人間的にも成長できるし、それで両親も喜んでくれる。あの世でも両親が良い生活をできるんだ。だから、僕は両親のためにも頑張るんだ。」
両親が死んでしまい、本当なら精神がぶっ壊れてもいいところを、宗教が存在することで、神からの試練だと転換することで、精神の崩壊を防ぐことができるのです。
人格の成長を促す
また、キリスト教・イスラム教・仏教・ヒンドゥー教など、基本的にどの宗教にも人間的にいいことが書いてあります。
「隣人を自分のことのように愛せよ」
「貧しい人を助けよ」
「人を殺してはいけない」
「人を騙してはいけない」
一般的な倫理観を学ぶ上で、宗教は必要だと思っています。
学校に行けなかったり、文字が読めない人にとっては、神父さんからの言葉が、そのまま人格を育てることに繋がっていったのです。
宗教の存在意義を疑った事件
宗教が必要だと思っている僕が、宗教の存在意義を疑ってしまった瞬間があります。
それは、モロッコの迷宮都市として有名なフェズで起きました。
僕たちは、猫にあげる牛乳をコンビニに買いに来ていたのですが、たまたまその店主が目の前のモスクでお祈りをしていたので、僕たちはその店主がモスクから出てくるのを待っていました。
すぐに、お祈りを終えた店主がモスクから出てきたので、僕は牛乳を片手に値段を聞きました。
僕が買おうとしたのは、200mlの牛乳です。
モロッコの普通の売店なら40円くらいで買えるものです。
すると、祈り終わったばかりの店主が、見当違いの価格を言ってきます。
🇲🇦「あーそれは400円」
🇯🇵「え?400円?40円じゃなくて?」
🇲🇦「うん、400円」
僕は呆気に取られて、その店主を無視して、そのまま違う売店を探し全く同じものを探しました。
🇯🇵「もしかしたら、高級なやつだったのかもしれない!」
僕が間違えた可能性を払拭すべく、先ほどの店と同じ商品を違う売店で購入したら、ちゃんと40円でした。
その瞬間、僕の中でイライラが募ります。
宗教ってなんのために存在しているんだっけ?
僕は、先ほど僕に10倍の値段を吹っ掛けた売店の店主へ言い寄ります。
🇯🇵「全然値段違うじゃん。なんなの!?」
そのおじさんは、真顔のまま僕にこう言いました。
🇲🇦「shut up.」
そう、彼は僕に「黙れ。」と言ってきたのです。
🇲🇦「俺は悪いことをしていない。お前が外国人だから悪い。お前は金がある。
騙してなんかない。金があるやつから、金を取るだけだ。何が悪い。」
なんか僕は、怒りという感情を通り越して、悲しい気持ちになってしまいました。
もちろん、日本人の方がモロッコ人より圧倒的にお金を持っていることは理解しています。
お土産を買うにしても、なるべくお金を現地に落とすことを考えています。
でも、こんなにあからさまに悪意を持って、お金をぼったくろうとしている人と出会ったのは初めてでした。
しかも、モスクでしっかりお祈りをしてきた後に、そんなことをすることが、僕には信じられませんでした。
そもそも、騙すこと、お金をぼったくることが悪いことだと分かっていないのかもしれません。
たとえそうだとしても、宗教を信仰する上で、「騙すことはいけないこと」だという、
基本的な倫理も学んでいるはずなのに、人格を形成するものなのに、
なんだかそれが全て嘘みたいに感じてしまって、めちゃくちゃ虚しくなったのです。
排他的でもある宗教
今回の話を、宗教を研究している友人に話してみると、
「それは、ごりぱちが同じ宗教じゃなかったということも、理由の一つかもしれないね」
と言われました。
宗教は、他の宗教を信仰する人に対して、排他的な部分もあります。
例えば、昔の話になりますが、イスラム教の教えの中には、「敵対する異教徒に対する戦闘」が認めれる内容がありました。
また、キリスト教のカトリックを信仰しているスペインが中南米を植民地化する際に、現地人を奴隷として使うことを合理化するため、現地人を"文明を持たない野蛮人"として認定し、"文明を持つスペイン人が統治をする権利がある"という思想を持ち出しました。
もちろん、それに異論を出す人もいたらしいですが、結果としてそれが通ったということは、カトリックのトップであるローマ法王もそれを認めたことになります。
なんか、歴史的にみると、宗教って言ってることと実際の行動が、あまりにもかけ離れていますよね。
宗教に対する不満をぶちまける
もちろん、信仰をしていて、素晴らしい人ともたくさん出会ってきました。
けれども、教会やモスクでお祈りをしているにも関わらず、どうしようもないことをする人もたくさんいます。
ここで、僕が宗教に対して思っている不満をぶちまけます。
お前ら、「平和が大事!」って言ってるくせに人を殺しすぎなんだよ!矛盾してるだろ!
お前ら、自分たちの宗派以外認めようとしないって、心狭すぎだろ!全然人格育ってないじゃんかよ!
お前ら、神様に祈った直後なのに騙そうとするなよ!悪いことするなよ!何に祈ってるんだよ!
以上になります。
もっと言いたいことはありますが、ここで止めておきます。
ただ、こんなことがありつつも、僕を悪意を持って騙してきた彼のような人は珍しいことは事実なので、非常に困窮した状況に追い込まれている人にとって、宗教は必要だと信じています。
もし次、宗教関連で嫌なことが起きたら、大きな声でさっきの不満をぶちまけてやろうと思います。
⬇︎オランダで出会った、キリスト教のプロテスタントの方にイラッとした話です。
⬇︎インドネシアで出会った、素晴らしい人格を持ったイスラム教の子供たちの話です。
では、今回はここまで1
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回お会いしましょう!