【フィリピン滞在経験談】フィリピン留学中に学んだ人生を変える5つの考え方。

公開日:2018年7月24日
     
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こんにちは。

ごりぱちです。

皆さんはフィリピンに行ったことがありますか?

フィリピンは東南アジアの一つで、人口の約半分が0-30歳で占められており、経済発展著しい勢いのある国です。

・若いフィリピン、老いる日本 2028年に人口逆転 by 日本経済新聞

東京から首都のマニアまで飛行機でたったの4時間半!

僕の実家に帰るよりも短い時間で帰れます笑

僕は、大学卒業後、色々あって就職せずにフィリピンのセブ・ダバオへ旅立ちました。

初めて人生のアウトローを経験する僕にとって、フィリピンでの時間は全てが刺激的であり、今の僕の人生にとってかけがえのない経験となっています。

⬇︎僕がなんで人生のアウトローを経験することになったか気になった方は、こちらの記事を読んでみてください!

この前、久々にフィリピンで知り合った友達から結婚式の招待がきて、色々と思い出話をしていた時に、僕の人生において大事な分岐点であったフィリピンでの学びを記録に残しておこうと思って、この記事を書きました。

人生悩んでいる人や、留学を考えている方が「こんな適当な人でもちゃんと生きていけるんだ!」、「留学ってやっぱり面白そう!」と思っていただけると嬉しいです。

では、レッツゴー!!!

フィリピンで学んだこと① Give and Giveの精神。

フィリピン人は、とにかく親切です。めちゃめちゃ優しい。

お金がないのに、絶対に奢ろうとしてきます。

例えば、現地で仲良くなった友達の家に行こうものなら、家族が総出で歓迎してくれます。

親族全部合わせると、家に5-10人くらいいるので、まるでパーティーみたいな感じです。

フィリピン人の大学卒業後の新卒の給料は日本円で約3万円。

フィリピンの東大と言われるフィリピン大学を出ても同じくらいの金額になります。

そんな彼らが、1食3,000円くらい食事を奢るんです。

彼らの1ヶ月の給与の1/10を見ず知らずの外国人に使ってくれるんです。

「お前は友達だから気にするな!」なんの見返りも求めません。

ある時は、初対面なのに、尋常じゃない優しさを発揮してくれた方がいました。

とある週末に、現地の友達とクラブに遊びに行き、友達と別れた後にタクシーを捕まえようとすると、財布を紛失していることに気がつきます。

僕の住んでいた場所までは徒歩で2時間くらい。時間は深夜12時。

そして携帯の電源は切れています。

僕は身長178cm,体重85kgとアジア人にしては大きいものの、異国の地、しかもクラブ街を1人でぶらつくのは若干の怖さがありました。

その場でどうしようか悩んでいると、とあるおっちゃんが話しかけてきました。

僕が財布を無くして、携帯も電源がなくて、どうしようもないと話したら、おっちゃんはこう言います。

「おお、なら住んでる場所まで送ってやるよ。」

「なんだと!?」正直警戒心バリバリです。

おっちゃんの年齢は30-40歳くらい。

黒髮単発で、ジーパンに白シャツ、中肉中背。

やたら英語の上手いおっちゃんでした。

「変な場所に連れて行かれないか」という不安も一瞬出てきましたが、とにかく家に戻りたいのでおっちゃんのバイクに乗せてもらいます。

住んでる場所を伝えたらおっちゃんはすぐに分かったらしく、バイクを飛ばします。

おっちゃんは翻訳の仕事をしているらしく、アメリカにも住んでいたことがあるとか。

仕事が終わったのでクラブで女の子をナンパしていたが上手くいかなかったらしく笑

たまたま困ってそうなアジア人がいたから声をかけたんだとか。

僕としては、「もしかしたらゲイかもしれん!!」という恐怖感もあったので、ストレートということだけで大分安心した記憶があります笑

バイクを飛ばして30分くらい。僕の家が見えてきました。

するとおっちゃんが一言。

「お腹空かね?屋台で飯食おうよ。」

まあ、確かにお腹空いてるし、御礼も兼ねてご飯奢ろうと思って、家によってお金をとってきた後に屋台に向かいました。

おっちゃんでのアメリカでの波乱万丈な人生談に花を咲かせ、お会計に。

僕が払おうとすると、彼はこう言います。

「おいおい、俺が払うよ。お前はゆっくり休め。疲れたろ。」

いやいやいや、バイクで送ってもらったし、ここでご飯まで奢ってもらおうなんて背に腹が変えてもできないと思い、お金を渡すと彼は優しい口調でこう言います。

「お前は、俺じゃなくて、違う人にgiveするんだ。

俺もこれまでいろんな人に助けられて、もらってばっかりいた。

俺を助けてくれたやつは、1人として見返りを求めてなかった。

困ってる人を助けるのは、人として当然のことだ。誰かに助けてもらったら、次はお前が困ってるやつを助ければいい。

そうすれば、優しさの輪ができるだろ?それでいいんだよ。」

なんていうか、「なんて心が豊かなんだろう」って感動しました。

人を助けて、助けられた人がまた違う人を助ける。

これが繋がれば、世界は平和になるんだろうなあって、真剣に思いました。

「心が豊かっていうのはこういうことを言うんだ」と、初めて学んだ気がしました。

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フィリピンで学んだこと② 圧倒的な格差社会の存在。

僕が滞在していたのはフィリピン第二の都市のセブです。

セブで見た世界は、先進国である日本でしか生きてきたことがない僕にとっては衝撃が大きかったです。

1g=1円以下の麻薬を吸ってうろつきながら、僕のズボンのポケットにお金を求めて手を突っ込んでくるストリートチルドレン。

赤ちゃんを抱いたお母さんが、信号待ちの車の窓を叩きながらお金をもらう日常。

コンクリートの上で、ほぼ裸で横たわってる家族3人。

スラムエリアと富裕エリアが道路一本挟んで分けられてる街。

何もかもが初めての経験であり、日本では決して味わうことのない光景が広がっていました。

都市部から農村部になれば、みんなが一様に貧しいので極端な格差は起こっていませんが、都心になればなるほど生活の格差は明確になります。

映像で見るより、本で読むより、やっぱり実際の生活を見ないと何も分からないんだと実感しました。

生で、本当の貧困を見ることで、「自分には何ができるんだろう?」と常に自問するようになりました。

フィリピンで学んだこと③ 従業員あっての会社。

僕がフィリピンに滞在している間、2つの大災害がフィリピンを襲います。

フィリピン史上最大の台風ヨランダとフィリピン史上最大のボホール島での地震です。

・台風ヨランダに関してはこちら!

・ボホール島の地震に関してはこちら!

「半年程度しか滞在していないのに、フィリピン史上最大の災害が2つもヒットするなんて、なんて悪運の持ち主なんだ!!!」

と思いましたが、その時のフィリピンの方の行動から、彼らの中で家族がどれだけ重要なのか、またビジネスにおいて従業員がどれだけ大事なのかを学ぶことができました。

災害が発生した時、僕は語学学校に行っていました。

その語学学校は日本人によって経営されており、災害があっても、その2日後には授業を再開しようとしていました。

日本人なら、それは当たり前かもしれませんが、フィリピン人からしたら鬼畜同然のことだったらしく、先生達が揃ってストライキを起こしました。

「私にとって、仕事よりも家族の方が大事。

これでクビになるなら、喜んでクビになります。

家族よりも仕事を強制する会社なんて、私が働く価値もないですから。」

こんなことを堂々と言う彼らが、めちゃめちゃかっこ良かったことを鮮明に覚えています。

これだけはっきりと、自分の意思を伝え、会社を批判することができる人がどれだけ日本にいるでしょうか?

結局その語学学校は、従業員である先生からの信頼を回復することができず、経営が困難に陥り、他の語学学校へ売却されます。

「従業員あっての、従業員の幸せあっての会社なんだなあ」と、胸に刻み込まれた経験でした。

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フィリピンで学んだこと④ サラリーマン以外の生き方。

僕はフィリピン滞在中に、いろんな人と出会いました。

大企業に勤めるサラリーマン、作曲家、フィリピンで起業している方、事業売却後に暇つぶしで来てる方、フリーター、世界一周中の方、看護士、保育士 etc。

僕が生きてきた22年では、出会ったことがないような人と交わる機会がめちゃめちゃあったんです。

その方々と、「人生とは何か・仕事とは何か」といった哲学的な話をしていると、大学を卒業して企業に勤めること以外にも、なんでも選べる環境があることに気づきました。

当時の僕は、そもそも大学に行くのが当たり前、大学卒業したら企業に勤めるのが当たり前、一度企業に勤めたらなるべく長くいるのが当たり前、というように、いつの間にか自分の生き方を狭めていました。

別に、そのルートに無理やり乗る必要がないのに、その他の生き方を知らないが故に、世間で言う当たり前のルートしか見えない状況に追い込まれ、別の発想をすること自体がありえないことだったのです。

これまで出会ったことのない方々との価値観に触れることで、僕の人生は格段に楽になりました。

なぜなら、多様な生き方があることを知ったからです。

そのおかげで、「なぜ働くのか?なぜ今なのか?」など、逆に仕事を明確に選べるようになり、自分の人生を歩む上で、人生の選択を自分で決めて選ぶことができるようになりました。

これまでのような「周りがやってるから、なんとなくやってみる」という、人任せな生き方から脱却することができました。

これは大きな変化でした。

▶︎就活が辛くて泣きたい人が知っておくべき、50年前の就活生のお話。

▶︎「就活が辛くて辞めたい。」就職活動で苦しまないために必要な考え方とは。

フィリピンで学んだこと⑤ 肩書きに囚われてはいけない。

フィリピンに行くと、初対面の人にこう聞かれることが多くなりました。

「君はどんな考え方を大事にしてて、何ができる人なの?」

当時の僕は、これに全くもって答えられませんでした。

なぜなら、そんな問いをされたこともなければ、考えたこともなかったからです。

日本の場合、「どこの大学ですか?どこの会社ですか?」という質問がほとんで、そこを答えることで、なんとなく相手がどのくらいの位置にいる人かが分かり、それで終わりです。

フィリピン人の場合、僕がどの大学なのか、どの会社なのかを聞いてくる人は全くいませんでした。

僕が大学名を言ったって、会社名を言ったって、所詮は日本の中での地名度なので、異国に行くと、自分の肩書きは完全に意味を為さなくなります。

最も重要視されるのは、その人自身の価値観です。

これには本当に困りました。

なぜなら、僕は全く答えられなかったからです。

しかし、こういった質問を数多くされることで、「僕はどんな価値観を大切にしていて、どんな価値を提供して人に貢献できるのか?」を考えるようになることができました。

これは、異国に来たからこその経験だと思います。

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フィリピン留学で学んだ生き方

僕はフィリピンに行くまで、自分の意見を主張するのが凄く苦手でした。

なぜなら、僕の行動や発言によって相手からどう思われるのかがいつも怖かったからです。

嫌われないように、他の意見に追従する。それが僕のスタンスでした。

しかし、そのスタンスはフィリピンで砕かれます。

「お前の意見は何?なんで言わないの?

お前の人生なのに、なんでそのハンドルを他の人に任せるようなことするの?

自分の人生に無責任すぎるよ。

こんなことを言われ続けると、さすがにどうにかしなければと僕もなります。

そこで人生で初めて、「僕は何を大切にしたいのか。どんな生き方をしたいのか。」を真剣に考えることになります。

「もっと早く考えとけ馬鹿たれ!!!」と昔の僕を叱りたいです。笑

僕は合計で半年ほどフィリピンに滞在していましたが、本当にこの時間は僕の人生を大きく変えるきっかけとなった、貴重な時間でした。

若い時の1年や2年のブランクは本当に関係なくて、むしろそのブランクでより人生が深くなることの方が多い気さえします。

あまり自分を追い込むことなく、人の期待に応えようと苦しむのではなく、自分の幸せを一番に考えて、もっと自分を喜ばせるような事に時間を割くことが、人生を楽しむコツだと思います。

フィリピン留学は、人生の価値観を変えるきっかけになりうる可能性を秘めているので、興味がある方は是非調べてみてください!

では、今回はここまでです!

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!

また次回お会いしましょう!

 
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