こんにちは。
ごりぱちです。
日本の教育とアメリカの教育の違いは、一般的には以下のように印象付けられています。
日本の教育 = 組織を円滑に機能させる人材を育てる。個人で突出した能力を持つ人材を育成するわけではない。(集団主義)
アメリカの教育 = 個々人の特性を伸ばしていく。組織で波長を合わせる人材を育成するわけではない。(個人主義)
この記事では、日本の教育とアメリカの教育を比較したときに、どっちが良いか、悪いかを話すわけではなく、なぜこのような違いが生まれたのか、その原因を探っていきます。
僕はこれまで、20人以上の帰国子女(アメリカ育ちの日本人)と、日本とアメリカの教育の違いについて話してきましたが、
その話の中で、最も府に落ちる「日本とアメリカの教育の違いの根本的な原因」を解説してくれた方がいたので、
今回はその話をご紹介していきます。
では、レッツゴー!!!
日本とアメリカの教育の違いの原因とは?
日本とアメリカの教育の違いを生んでいる根本的な原因の一つは、
「言葉の定義の違い」です。
日本語 = 教育
英語 = education
帰国子女の方いわく、
「英語の"education"が、日本語では"教育"と訳されているが、それがそもそも根本的に訳し方が間違えている。
"教育"が持つ意味と、"education"が持つ意味とが全く違うんだ。」
とのことです。
果たして、具体的に"education"とはどんな意味を持つのでしょうか?
日本語の"教育"とは、何が違うのでしょうか?
*ちなみに、今回お話をしてくださった方は、TOEFL iBTを110点(120点満点,TOEIC換算で900点以上)の実力を持ち、プロの英語の先生として活動している方なので、とっても信憑性がありました。
日本語の"教育"と英語の"education"の違いとは?
日本語の"教育"を紐解くと、"教"と"育"に分けられます。
要約すると、
"教育 = 人に教えて、育む。"
となります。
英語の"education"の場合、少しニュアンスが違ってきます。
要約すると、
"education = 人が本来持っている能力を引き出す"
という意味を持ちます。
ここで、日本語の"教育"と英語の"education"の違いを並べてみましょう。
教育 = 人に教えて、育む。
education = 人が本来持っている能力を引き出す。
これ、似ているようで結構違います。
日本語の場合、「すでに能力や知識を持っている人(先生)が、それを持っていない人(生徒)に教えることで、生徒を育てていく。」と捉えることができますが、
英語の場合、「人(生徒)はそれぞれ独自の才能や特性を持っているので、先生はその能力を引き出すために存在している。」と捉えることができます。
わかりやすく、図で表してみましょう。
日本の教育の場合

アメリカの教育の場合

意味の違いが、教育の違いを生んでいるのではないか?
日本の教育の場合は、先生が圧倒的な力を持っています。
なぜなら、先生は"教育"において"力を持っている人"であり、生徒は"何も持たない人"だからです。
だからこそ、日本の教育は、先ほどの図を見て分かるように、
先生は生徒の一段上にたち、先生の持つ知識を生徒に教えて育むのです。
アメリカのeducationの場合は、生徒はそれぞれ才能や特性を持っているので、
先生はあくまでもその能力を引き出すことに終始し、先生と生徒の関係はあくまでも対等なのです。
このように、"教育"と"education"は同じような意味で考えられていますが、実際はかなり違っているのです。
この話を聞いたとき、僕はなんだかとっても府に落ちました。
僕たちが普段使っている"教育"という言葉が、そもそもの"education"との違いがあるのであれば、そりゃあ教育内容も変わってくると思います。
もちろん、日本とアメリカ、どちらの教育が良いのか悪いのか、それはお互いに一長一短があるのでなんとも言えません。
また、日本とアメリカの教育の違いの原因も、様々な説があるので、どれが正しいかなんて分かりません。
ただ、僕は、この「言葉の意味,定義の違いが日本とアメリカの教育の違いを生んでいる」という説がとっても面白かったし、納得もしたので、皆さんにシェアしてみました。
「こんな見方もあるんだな!面白いな!」と思ってもらえれば嬉しいです。
⬇︎インド人が抱く日本に対する印象があまりにも想像とかけ離れていて面白かったので記事にしました!
⬇︎日本の働き方に疑問を持ったインドネシア人の話もあるので、日本に対する一つの見方として、興味がある方は読んでみてください!
では、今回はここまで!
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
また次回お会いしましょう!