こんにちは。
ごりぱちです。
「自分の人生、このままでいいのかな?」「なんか人生のレールに乗ってる気がしてるなあ。抜け出したいなあ。」と思ったことはありませんか?
僕自身、大学を卒業した時点で、漠然とそう思っていました。
そして僕の周りにも、「このまま普通のレールに沿って生きていたくない!」と言う人がたくさんいました。
レールに沿っていたくないので、色々頑張ります。
ネットビジネスをやったり、団体の長をやったり、起業したり、大手からベンチャーに行ったり、「ちょっと人がやらないこと」をやって、「レールに乗らず、チャレンジしてる自分」にうっとりします。
僕も、完全にそのうちの1人でした。
でも、はたと気付きました。
「僕の周りの人が言う普通の人生のレールって、めっちゃハードル高くないか?」
「そのレールに乗れたのは、自分の力ではなく、主には家庭の力なのに、勘違いをしていないか?」
「普通の人生のレールを歩める人って、めっちゃ恵まれてないか?」
様々な疑問がわき起こり、僕自身を振り返り、あまりにも稚拙な考えを持っていたことを猛省しました。
この記事では、人生のレールに沿った人生について、僕の考えを好きなように書き散らしています。
「なんか人生にモヤモヤしている」「まさにそんなことを考えていた」と言う人にとって、少しでもお役に立てると嬉しいです。
では、レッツゴー!!!
人生のレールに沿った人生とは?
僕自身が、また僕の友人が思っていた普通の人生とは、まとめるとこんな感じです。
*主に男目線での話です。
22歳-大学卒業
22歳-大学卒業と同時に会社に就職
30-35歳-結婚&子供&家の購入
30代-海外赴任
40代-上位の管理職
65歳-定年退職
大学を卒業後、新卒で入った会社内で出世競争を行い、海外赴任をゲットし、定年まで勤め上げ、妻と子供を守り抜く。
こんなのが、僕の周りの「レールが敷かれた人生」でした。
そして、一定数が「こんな刺激のない人生を送りたくない。」と言っていました。
30歳を目前に控えた今、振り返ってみると、「お前何を言っとるんじゃ!!!」と、自分の頭をカチ割りたくなります。
人生のレールに乗れる人はどんな人?
ここで、「普通のレールに敷かれた人生」が、いかに普通ではないかを説明していきましょう。
① 大卒
まず、大学を卒業している時点で、恵まれています。
日本の大学進学率は約50%です。
▶︎最新(2019年)の大学進学率は54.67%!男女・学科・都道府県別まとめ
大学へ進学するには、一定水準以上の学力が必要です。
そのためには、小さい頃から塾に行っていた人もいるでしょう。
親が塾の費用を出してくれている環境、それがそもそも恵まれています。
親の収入が高ければ高いほど、塾へ通う率も比例して高くなっています。
これが、「レールの敷かれた普通の人生」でしょうか?
親が引いてくれたレールのおかげで、大学まで卒業できたんじゃないでしょうか?
僕は、完全にそのポイントを見落としていました。
② 定年まで勤め上げられる可能性のある会社
定年まで勤め上げられる可能性のある会社とは、巷で言う「大企業」へ入った場合でしょう。
そもそも、日本で大企業と言われる会社は、
全会社中の0.3%(約12,000社)となっています。
ではここで、新卒採用の場面を考えてみましょう。
各大手企業がそれぞれ50名の新卒を取るとします。
そうすると、採用枠は60,000人となります。
では、大学ごとの卒業人数を見てみましょう。
東京大学が1学年で約3,000人の卒業生を出します。
旧帝大と言われる各大学もそれぞれ3,000人の卒業生を出すとすると、
3,000人✖7大学=21,000人
すでに3割を占めています。
そこに、早慶上智や関関同立などの上位私立学生が入ってきます。
早稲田大学は1学年約9,000人いるので、それで計算します。
9,000人✖6大学=54,000人
なんと、
旧帝大と、上位私立のわずか15校ほどで、
大手の採用枠を超えてしまいます。
その新卒採用を勝ち抜き、定年まで勤め上げらることは、果たして普通のことなのでしょうか?
「レールの敷かれた人生」としてそっぽを向かれるものなのでしょうか?
③ 結婚&子供&家の購入
なんとなく、「レールの敷かれた人生」にセットになっているのが、「結婚&子供&家orマンションの購入」です。
これ、さらっと言ってますが、この3つを達成しようとして、全てコンプリートしている人はどのくらいの割合でいるのでしょうか?
最愛の人を見つけ、無事に子供が生まれ、銀行からローンを借りれて、家族の住まいを手に入れる。
僕は30歳を目前にして気付きました。
全く普通ではないと。
人生のレールに乗るのはダメなこと?
「人生のレール」に乗っていると初めて自覚したのは、大学を卒業してからでした。
「このままじゃなんかダメな気がする!頑張らないと!」と思って、これまで自分なりに考えて生きてきました。
でも、心のどこかで「普通に会社に勤めるのはなんとなく嫌だなあ」って思ってました。
なんと失礼で、大馬鹿ものなのでしょうか。
大学まで卒業できたのは、自分の実力ではなく、親が与えてくれた環境(=レール)のおかげです。
定年まで勤め上げることができる人は貴重な人材です。
結婚・子供を持ち、家族を守ることができる人は、責任感がある人です。
なのに、そういった人たちのことを「レールの敷かれた普通の人生」と断言していた僕は、なんとアホなやつなのでしょうか。
いかに恵まれている人生なのか、考えたことがなかった。
振り返れば振り返るほど、僕はあることに気付きました。
「僕は、凄まじく恵まれた人生を歩んでいた」と。
大学を卒業できたこと、とってもラッキーでした。
仕事を見つけられたこと、とってもラッキーでした。
結婚できたこと、とってもラッキーでした。
何から何まで、ぼくはめっちゃラッキーで、その根幹にあるのは、自分が嫌悪していた「レールの敷かれた人生」なのです。
「レールの敷かれた人生」がなければ、僕は大学を卒業できませんでした。
「レールの敷かれた人生」がなければ、僕は仕事を見つけられませんでした。
「レールの敷かれた人生」が、人生の根幹を担っています。
でも、恵まれた人は、「自分が平凡だと思っているレールが、いかに貴重なものなのか」分からないのです。気付きにくいのです。
凄まじく恵まれた条件で育ってきたからこそ、これからしっかり社会に価値を還元していく必要があると、今は強く思います。
「自分勝手に生きていく人生は、もう終わりにしたい。」
そう思えた、とある29歳の夏でした。
では、今回はここまで。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
また次回お会いしましょう!
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